見栄やこだわりを持ちたくない
私は、たくさんの物を捨て減らす中で、残す物はブランドで歴史やストーリーがあって、品質も見た目もいいものであるべきだと思っていたときがありました。
でも、そのときに主体となっているのは人からどう見られているかであって、おしゃれな人と思われたい、ある程度のレベルの暮らしをしている人に思われたいといった見栄が理由で物を選んでいました。
このタグが付いているからこのTシャツには価値があって、使いやすさよりもロゴが素敵だからこの鞄がほしいと思っていました。
いつもミニマリストに相応しい素敵なブランドはないか探し、この無名の包丁では雑誌によく取り上げられるものと違うから価値がないとモヤモヤしながら使っていたのです。
マグカップもこれではだめ、財布もボールペンも自分にとって選び抜かれたベストなブランドを探さなければと、雑誌やネットを読み漁る毎日でした。
でもあるとき、そんな満たされることのない見栄とこだわりを持つ毎日がくだらなく思えたのです。
特にヘンリー・D・ソローの言葉をまとめた本、「孤独の愉しみ方」を読んだあとには、その気持ちはさらに大きくなりました。
欲望には限りがないことが実感として自分の中でしっかりと納得できたのです。
私の住んでいるところは、雪国の田舎です。
持っているだけでお金がかかる車も必要だし、冬は光熱費が高いです。
防寒着も必須だし、子供の離乳食や毎日の食事も適当に済ますわけにはいかない。
子供の学費や将来のための貯蓄も必要です。
そんな環境で、一つ一つのものにこだわってブランドで揃えることはできないし、揃えたところで、私は何を感じたかったのだろう。
また次のより良いものが欲しくなるだけなのに。
こんな素敵なものを持って、素敵なインテリアねと誰かから言われたいためだったのです。
そんな見栄やこだわりを今は徐々に、捨てることができています。